はじめまして。人は死んだらどうなるんでしょうね。

申し遅れました。私デスお嬢と申します。

ブログを始めようと思ったはいいものの、アカウントを作った時点でそのまま放置していたのですが、しゅんきさんの書いた文章に感銘を受け、私も何か書いてみようと思った次第です。

 

私には姉が二人います。2番目の姉は早くに家を出てしまいあまり関わりはないのですが、長女の姉はとても私によくしてくれていて、私は彼女に頼りきりの生活をしているのです。

 

私にとって彼女は精神的にも肉体的にも大事な存在で、彼女が生きていなければ私も生きられないだろうという確信があります。

 

だからこそ、彼女が死んだらどうなるのかをよく考えてしまうのです。

 

 

人は死ぬとそれきり。死後は喋ることもなければ、何かを作ることもできないと言われていますよね。しかし、こうも言うのです。

死人はあなたの心の中で生きているのだ、と。

もちろんこれは残された人々の体の中に故人の遺した身体のパーツが植え付けられて生命活動を維持しているとかそういう訳ではなく、気を紛らわせるための思い出の言い換えのようなものです。

 

生き物は死んだらそこから先の時間に存在せず、昔そんな奴がいた。という記憶や、それが生活につかっていた道具なんかが残ります。その昔生きていた個体の自我はもうこの世のどこをひっくり返してもないと言われていますよね。

 

つまり、それぞれの残された人々にとっての、故人の人格のイメージや昔あった出来事、容姿の記憶なんかが頭の中に残り続けるということです。

 

私はその故人の記憶の集合ファイルはイマジナリーフレンドにとても近いものなんじゃないかと思いました。

 

記憶というのは他の記憶と混ざったりして少しずつ薄れ、消えていきます。私は親戚が死んだ時どれだけ悲しかったか覚えていても、生前の声は思い出せないし、どんな人だったのかも曖昧で思い出せません。少しずつインターネットにおける”たまに会う親戚”像に汚染されて、故人とは別の何かに置き換わっていくのを止められないでいます。

 

関わりが足りなかったのかもしれません。私は大好きでいたつもりだったけれど、私の自我が感知できない私の中で保持する価値のない記憶と判断され、隅に置かれたのかも。

 

大事な故人が死んだことを知ったその瞬間から、故人の姿をかたどり故人の真似をする故人ではないものが私の頭の中に住み着いているような気がして、どうしようもないながらも恐ろしいことが起きているように感じます。

 

故人ならこう言うだろうとか何をするとか考えても、そこには結局彼らの意思は一つもなくて、彼らの形の想像上の存在が頭の中でそのように振る舞っているだけなのです。

 

イマジナリーフレンドはある日突然頭の中に現れたり、不安に対抗するために作り出されたりします。そして、時に人を励まし、時に私と遊んでくれるのです。彼らに物事の判断を任せることもできます。

 

イマジナリーフレンドが私のために何をしてくれたか私はかなりはっきり覚えています。彼らと相談して買った生活用品もあるし、作ったものもあります。彼らが大好きです。

 

彼らは生きていた過去がないだけで故人と同じように頭の中にいます。

 

過去の世界と現在の人類が接触できない限り、イマジナリーフレンドと故人に大きな違いはないのではないでしょうか。

 

私の姉もいつか私の頭の中だけの姉になって、誰にも聞こえない声で話しかけてくるようになるのでしょう。

 

とても嫌だな、と思います。